■超適当にやってようぜ
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「寂しい」のがそんなに怖いのか

つか、最近の人は「寂しい」とか「孤独」だとかを恐れすぎ。

いったい「寂しい」のが怖いのか、はたまた「寂しいやつ」と人から思われるのが怖いのか、過剰に自分を「寂しい」状態に置くことをおそれ、別につきあいたくもない異性とつきあい、つきあいたくもない友人と騒ぎ、やりたくもないイベント参加に精を出し、さして面白くもなさそうな流行にのり、ただただ「寂しいやつ」と思われたくないために一生のかなりのエネルギーを費やしている(ように俺には見える)。

ちっとは孤独を楽しむくらいの余裕が欲しいものである。ロビンソンクルーソーの生活に妙にあこがれたり、真夜中に物音もしない人っ子ひとりいない道路を一人で歩いているとなんだかうれしくて変にハイテンションになってしまうくらい孤独を愛する俺としては、孤独を過剰に恐れたり忌み嫌ったり、果ては孤独な自分を過剰に貶めたり哀れんだりしている人を見るとなんだか頭にくるというか、かわいそうになってくる。特に生まれつき外向的で人と接するのが大好きという人なら別にいいのですが、もともと物静かで内向的な性格で、大勢の人とつきあうのが苦手なタイプの人間が、ただ「寂しいやつ」になりたくない一心で無理したり、自分を「寂しいやつ」と卑下しているのはちょっと痛々しくて見ていられない。

もちろん外向的な人間は得な面・有利な面ももちろん多いが、常に人(外界)となんらかのコンタクトをとってやりとりすることが精神の主な活動内容のクセになっているせいで、外界とのコンタクトをシャットアウトしてじっくりと内省的に考える作業が苦手だったり、そもそもそのような抽象的・内省的な思考自体したことがない・そういった概念さえ分からないという人も多く、俺からすると外向的だからと言ってそういいことばかりでもないのだ。(ちなみに快活かつ外向的でありつつ、非常に深い思考を持つすごい人間もたまには、いる)
なのになんだか最近の外向的な人間の方が偉く、内向的な人間が悪のような風潮はまったく面白くない、不愉快きわまりないものである。そもそもなぜか外向的な人間が、そんな自分をコンプレックスに思うことはまずないのに、その逆は多いのである。

外向的な人間もたまには
「ああ、俺って常に友達や異性に囲まれていないと落ち着かないアイデンティティの虚弱な人間で、一人でじっくりものを考えることさえできない低脳野郎で、常に誰かと楽しげにひっきりなしになにかしろ喋っているけど、実は何の内容もないパターン化された人口無能的な会話しかできず、世間の流行に無批判にのっかって楽しいふりをしているだけの空虚な人間なんだ!」
とかって自己嫌悪してみろよ!オラ!

2003年01月06日23時58分

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